ストライド&ブギウギ
1910年代にはラグタイム・ピアノはアメリカ北部へも広がり、ニューヨークの黒人街ハーレムのサロンやバーでは「ラグタイム・キッド」と呼ばれるピアノ弾きが多く現れます。
彼らは店での演奏の傍ら売春婦の斡旋いわゆる「ポン引き」などをしながら歓楽街を転々と放浪するというあまり素行のよくない連中でしたが、ジャムセッションを行ったり互いにピアノの腕を競い合う中で、ピアノの演奏法はラグタイムから更に発展して新技法や新しい演奏のスタイルが生み出されていきました。
このハーレムで進化したピアノの演奏スタイルは「ハーレム・スタイル」または「ストライド・ピアノ」と呼ばれ、(「ストライド」とは「跨ぐ」という意味で、その演奏スタイルの左手のすばやく大きな音程の跳躍の動きから付けられた名前です。)
1920年代頃にはジェームズ・P・ジョンソン、ウイリー“ザ・ライオン”スミス、ラッキー・ロバーツなど、優れた才能や技術を持ったピア二ストが出現するようになります。
また、シカゴでは南部から北上してきて住み着いた黒人の間でブギウギというピアノスタイルが流行しました。
「ブギウギピアノ」は、1小節8拍でブルースを弾くスタイルなので「ブルース・ピアノ」とも呼ばれ、その特徴は左手のパーカッシヴなベースを反復し、右手で多彩なリズムや装飾を駆使して自由に演奏するスタイルで、後のロックンロールの原型にもなりました。
シカゴのブギウギピアニストは、多くのプロがいたニューヨークのハーレムスタイルのピアニストとは状況が異なり、当時はほぼアマチュアとしてパーティーなどで無料奉仕して活動しており、1915年にはブギウギの父と呼ばれるピアニストで作曲家のジミーヤンシー、ジミーに影響を受けたミード"ラックス"ルイスや、アルバートアモンズという優れたブギウギピアノストが現れましたが、ジミーヤンシーも1939年までレコードは出ておらず、彼らもずっと他の仕事で生計を立てながら活動していました。
しかし、ブギウギはその後プロデューサーのジョン・ハモンドにより発掘され、1938年には彼の尽力でカーネギーホールでブギウギのリサイタルを開くと大きな反響を呼び、ブギウギのリズムはアメリカのみならず世界中で流行したのです。
ストライド&ブギウギ記事一覧
ジェームス・P・ジョンソン
ジェームス・P・ジョンソン(1894-1955)アメリカ南部で生まれた音楽であるラグタイムピアノは次第にアメリカ北部にも広がり、ニュヨークでストライドピアノ(ハーレムスタイル)へと発展しました。そのストライドピアノの確立に大きな役割を果たし、”ストライドの父”と呼ばれたのがたのがジェームズ・P・ジョ...
ジェリー・ロール・モートン
アメリカルイジアナ州にある都市ニューオーリンズは1718年から1722年までフランスに統治され、それから1803年にアメリカに売却されるまでスペイン領でした。(1803〜1803年まで一時的にフランス領)そのため、この地方にはフランス系、スペイン系、イギリス系、アフリカ系など多くの人種、混血の人がお...
アルバート・アモンズ
1920年代からシカゴで隆盛したブギウギピアノの最初のスターはジミーヤンシーでしたが、ヤンシーのプレイに影響を受けて現れたブギウギピアノの代表的なピアニストに、アルバート・アモンズ(1907-1949)がいます。アルバート・アモンズは1907年9月23日イリノイ州シカゴでピアニストの両親の元で生まれ...