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スコットジョップリン(1868年〜1917)

スコットジョップリン(1868年〜1917)

 

 

ラグタイム音楽の中で、最も代表的な音楽家がスコットジョップリンです。

 

 

スコットジョップリンは1868年11月24日アメリカのテキサス州リンデンで、黒人奴隷農夫の父ジルジョップリンと母フロレンスの次男として生まれました。

 

 

父親のジルジョップリンは1863年にアメリカで奴隷制度が終わるまで、プランテーションの奴隷音楽師としてヴァイオリンを弾いていましたが、息子のスコットもその音楽的素養を受け継ぎ、小さい頃からバンジョーを上手に弾いたりピアノの即興演奏をしたりと、その音楽的才能を早いうちから現していました。

 

 

 そんなスコットの音楽的才能を見てスコットの母親は、自ら洗濯女として働いて得た賃金や生活費を削ってスコットに古いピアノを買い与えたそうです。

 

スコットのピアノと音楽の才能は近所でも有名になり、その才能を見込んだドイツ人音楽教師のJulius Weissがスコットに無償でピアノや音楽理論などを教えてくれるようになり,スコットはこの音楽教師からヨーロッパのクラシック音楽を学ぶ事で更に自身の音楽的教養と才能を伸ばし、10才の時にはバーでピアノの弾き語りの仕事をしたり、地元のバンドに入って演奏しました。

 

 

 17歳になると本格的に音楽で身を立てる決意をし、ミズーリ州セダリアに移り住みそこにあるスミスカレッジで作曲法を学び、学校に通いながらミシシッピー河流域のサロンの1つメープル・リーフ・サロンでピアノの弾き語りも続けていました。そして、スコットは当時アメリカ南部の街で広まりつつあったラグタイムの作曲を始め、自身の高い音楽的知識と才能を生かして西洋の芸術的音楽に並ぶような音楽性の高いラグタイム、「クラシック・ラグ」と呼ばれるジャンルを生み出す事になります。

 

 

 

やがてスコットの才能を見出したジョセフ・スターク氏により、スコットが作曲した「メイプル・リーフ・ラグ」の楽譜が1899年に出版されると、これが75000部も売れる大ヒットになり、スコットジョップリンの名を一躍有名にしました。スコットはラグタイム王と呼ばれ「メイプル・リーフ・ラグ」のヒットにより同時にラグタイム音楽もアメリカ北部にまで流行が広がり、ラグタイムの黄金期を築くこととなります。

 

 

 

この頃スコットはベル・ヘイドンと結婚しましたが後に離婚。1907年に新たな活動の場を求めてニューヨークに移り住み、そこでロティ・ストークスと再婚しました。
ニューヨークでは自身の音楽をより芸術的に高めるためオペラの作曲をし、またピアノの教授を勤めていましたが、やがて梅毒により精神を病んで、ブルックリンの病院に入院。また認知症が発症し入退院を繰り返し、、1917年4月1日に梅毒と肺炎のため48歳で亡くなりました。

 

 

 

 

 

スコットジョップリンは「メイプル・リーフ・ラグ」の他にも数々のラグタイムの名曲を残しました。中でも彼の作曲した「ジ・エンターテイナー」は彼が亡くなってから36年後の1973年に、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の映画「スティング」の中で使われて大ヒットし、音楽部門でアカデミー賞を獲得。 現在も世界中で多くの人が知る有名曲となっています。

 

 

スコットジョップリンをモデルにした伝記映画もありました。『Scott Joplin』 (1977)。スターウォーズエピソードX(1980)でハン・ソロ(ハリソン・フォード)の旧友ランド・カルリシアンを演じているBilly Dee Williamsがスコット役を演じています。