ジャズピアノCD名盤 名演

”ジェリー・ロール” モートン1890-1941

アメリカルイジアナ州にある都市ニューオーリンズは1718年から1722年までフランスに統治され、それから1803年にアメリカに売却されるまでスペイン領でした。(1803〜1803年まで一時的にフランス領)

 

そのため、この地方にはフランス系、スペイン系、イギリス系、アフリカ系など多くの人種、混血の人がおり、ルイジアナ地方に移民したフランス人やスペイン人の血を持つ人々はクリオール(クレオール)と呼ばれましたが、特にこの言葉は当時の白人と黒人の混血である人達を指して言われていたようです。

 

 

クレオールは黒人との混血とはいえ比較的裕福で豊かな生活をしていた人が多く、ヨーロッパに留学して教育などを受けていた者も多くいました。

 

奴隷解放令後には黒人の地位も上がりましたが、逆にクレオール達は利権を失った白人の腹いせに差別されるようになり、クレオールと黒人達の社会的ステイタスや裕福さの差はあまり無くなりましたが、もともと高い文化的教育を受け音楽的素養のあったクレオール達は、工場勤務などの余暇にブラスバンドを組んで演奏するようになり、街中やダンスホールで演奏することになりました。

 

 

 黒人独特のリズム感覚とヨーロッパの白人文化から入ってきた楽器の音色から奏でられるクレオールのブラスバンドは独特の音楽を作り出し、これが初期のジャズの始まりだといわれています。

 

 

 そんなニューオリンズのクレオールのバンドリーダーでピアニストに、フェルディナンド "ジェリー・ロール" モートン (Ferdinand "Jelly Roll" Morton, )がいました。

 

 

ラグタイムのピアニストが通常1拍目と3拍目に弾く左手のベース音は、単音もしくはオクターブだったのに対しモートンは6thを取り入れラグタイムのピアニストとは一線を画す演奏をし、このようなスタイルはラグタイムと分けて、「バレルハウスピアニスト」とも呼ばれました。、

 

 

そのためモートンは自らを「ジャズの創始者」と自称し、ラグタイムではない、新しい時代の音楽”ジャズ”をクリエイトしたミュージシャンと自負していました。

 

 

14歳で売春小屋のピアニストとしてプロ活動を始めたモートンは、瞬く間にこの地区で有名なピアニストになりました。この頃から南米ツアーを開始、「キング・ポーター・ストンプ」「ニューオーリンズ・ブルース」「ジェリー・ロール・ブルース」など多くの名曲を書きました。

 

 

 1922年にはシカゴに移り住み、彼のバンド「レッド・ホット・ペッパーズ」を結成し1926年にはアメリカ最大のレコード会社のひとつであるビクターとレコーディング契約を交わすことに成功しました。ビクターで録音された彼のバンドやトリオなどの演奏はジャズの古典的名演として後のジャズの歴史に多大な影響を与えています。

 

 

 1928年にモートンははニューヨークに移転し、その年の11月にショーガールであるメイベル・ベルトランと結婚しました。しかしニュヨークでは、彼のスタイルのジャズで演奏出来る共演者を探すのに苦労したり、世界大恐慌の影響もありビクターとの契約更新は出来ず、演奏活動も続けましたが彼にとって財政的にも厳しい時期だったようです。

 

 

 1935年バーの支配人になるためワシントンD.Cに引っ越したモートンは、その店で支配人、司会者、演奏者、バーテンダーを兼任しましたが、クラブのオーナーは彼女の友人達がお客で来てもお金を取らないで飲ませたため、ビジネス的には成功しませんでした。また、その時期にモートンの演奏に興味を持った民俗学者アラン・ローマックスにより米国議会図書館にモートンの演奏とインタビューが録音されましたが、これらは後にジャズ音楽史の歴史的資料として貴重なものとなり後にグラミー賞を受賞しました。

 

 

 ある日彼は店でオーナーの友人と喧嘩になりナイフで刺されて頭と胸に重症を負いましたが、それ以来モートンは後遺症で息切れがあったり病気になりやすくなってしまいました。その事件があると彼の妻はワシントンを離れるようモートンに勧め、カリフォルニア州ロサンゼルスに引越し新しいバンド年毎の計画をしていましたが、傷の後遺症による喘息が悪化し、1941年7月に病気のため亡くなりました。

 

 

 

 ジェリー・ロールモートンは、自己顕示欲が強く、自慢話を得意にする派手な性格で 自分の名刺にジャズとスウィングの創始者であると書き、それを事実とするために自分の年齢や自身の作曲した年を偽ったりまでしていました。そんな性格が災いし周りから総スカンを食い、喧嘩で刺されたり、彼の葬儀にも友人があまり来なかったようですが、彼の優れた作曲能力、ピアノの演奏から生み出される音楽は間違いなくジャズの歴史上最も偉大な遺産のひとつです。

 

 

 

 

彼の作曲であるKing Porter Stompはフレッチャー・ヘンダーソンとベニー・グッドマンに取り上げられ大ヒットしました。これは彼自身のピアノによる演奏です。

 

 

「MISTER JOE」 

 

 

 

1998年の映画「海の上のピアニスト」に「ジェリー・ロール モートン」というピアニストが出てきて、主人公の「1900」にピアノ演奏での決闘を挑む場面があります。
勿論この黒人ピアニストはジェリー・ロール モートンがモデルですね。映画はフィクションですが、自己顕示欲の強いモートンの性格が映画でもよく現れていますね。

 

 

 

 

 

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