ジャズピアノCD名盤 名演

アート・テイタム(1909-1956)

スウィング時代を代表するピアニストの中でも飛び抜けたテクニックを持ち、ヴァーチュオーゾ(Virtuoso 優れた演奏技巧上の名手、巨匠をという意味)やピアノの神様と呼ばれたのがアート・テイタム(Arthur “Art” Tatum Jr. )(1909-1956)です。
 
 アート・テイタムは1909年10月13日オハイオ州トレドで1909年10月13日に生まれました。

 

 

テイタムは生まれつき白内障で目が悪く、片方は全盲でもう片方も健常者の25%しか視力がありませんでしたが、父親のアーサーテイタムはギタリスト、母親のミルドレッドホスキンスは長老教会のピアノ奏者であるという音楽的に恵まれた環境にもあり、絶対音感を持ち合わせていたというテイタムは幼い頃からピアノやヴァイオリンなどを演奏し、19歳頃には地元でプロのピアニストとして活動していました。

 

 

1932年にはニューヨークに移り住み、アデレイドホールの伴奏者を努め、52番街のジャズクラブ「オニックス・クラブ」へ出演し評判になり、1933年にはモーガンズ・バーで行われたカッティングコンテストに出場し、ファッツウォーラーやジェームスPジョンソの曲の演奏を超絶技巧で優勝し、大きな注目を集めました。

 

この年の3月にはブランスウィックレーベルで4曲ピアノ・ソロを録音を残しています。

 

 

その後デッカレコードと契約したテイタムは1941年歌手のビッグ・ジョー・ターナーと共にターナーのビッグヒット曲Wee Wee Baby Bluesを含む2回のセッションを録音しました。

 

 

1940年台にはギタリストのタイニー・グライムスとベーシストのスラム・スチュワートとトリオを結成し活動しましが、1940年代後半になるとジャズの主流はビバップになり、テイタムのスウィングピアノのスタイルは廃れ、徐々に人気が低下してしまいました。

 

 

しかし、テイタムの卓越したピアノの技術はジャズ界のみならず、クラシック界からも高く評価され、テイタムの評判を聞いたクラシックピアニストの巨匠ウラディミール・ホロヴィッツや指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ、ヴァイオリニストのヴァルター・ギーゼキングもテイタムの演奏を聴きにクラブに訪れ、その演奏を高く評価し、賞賛しました。

 

 

1956年肝不全を患ったテイタムは尿毒症との合併症を起こし、ロサンゼルスエンジェルス医療センターで亡くなりました。
彼の音楽の才能とテクニックは疑いもない「ジャズ・ピアノ」のレジェンドでした。

 

 

 

 

「Tiger Rag」テイタムの演奏の並外れたテクニックとスピードに、レコードを聴いて多くの人が2人で連弾しているのだと思ったそうです。

 

 

 

ドボルザークの「ユーモレスク」を弾いている貴重な映像。テイタムはジャズ風にアレンジしていますが、もしクラシックピアニストになっていたとしても一流だったでしょう。

 

 

 

「Yesterdays」バラードから始まり、やがて圧倒的なテクニックで緩急をつけた完璧な演奏ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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