ジャズピアノCD名盤 名演

ジェームス・P・ジョンソン(1894-1955)

ジェームス・P・ジョンソン(1894-1955)
 

 

アメリカ南部で生まれた音楽であるラグタイムピアノは次第にアメリカ北部にも広がり、ニュヨークでストライドピアノ(ハーレムスタイル)へと発展しました。

 

そのストライドピアノの確立に大きな役割を果たし、”ストライドの父”と呼ばれたのがたのがジェームズ・P・ジョンソンです。

 

 

ジェームズ・P・ジョンソンは1894年2月1日ににニュー・ジャージー州で生まれました。彼の父親ウイリアムは修理工、母親ハリソンはメイドとして働いていましたが、母親のハリソンはメソジスト教会の聖歌隊やピアニストも勤めていたそうです。

 

そんな音楽的素養のある母親の影響もあって、ジェームズは幼少期から絶対音感を持ち、ゴスペルやアフロアメリカンの音楽などを聴いて育ちました。

 

 

1908年ジェームズが14歳になると家族はニューヨークへ移り住みましたがその頃からジェームズは、ラグタイム音楽の虜になり、スコットジョップリンをはじめとするラグタイムの曲を毎日弾き、その優れた演奏技術と音楽的才能を持っていたジョンソンは、1912年、彼が18歳の時にピアニスとして最初の仕事を得ました。

 

 

それ以来音楽の道で生きていくことを決めたジョンソンは、通っていた学校をやめてヨーロッパのクラシック音楽やラグタイムピアノの勉強に励みます。

 

 

やがてジョンソンは1920年までには東海岸でトップのピアノ・ロール演奏家(自動ピアノ用紙楽譜の演奏家)になり、翌年1921年には彼自身の曲"Harlem Strut"、"California Shout"の演奏を蓄音機へ録音する事となりますが、これが歴史上初めて録音されたジャズピアノといわれています。

 

 

 ジョンソンの卓越した音楽的才能により生み出された曲と演奏はそれまでのラグタイムピアノを大きく進化させストライドピアノというスタイルを確立してジャズピアノの原型となり、彼の曲は後に続くファッツ・ウォーラーやデュークエリントンなど偉大なジャズピアニスト達の教科書となりました。

 

 

 その後もジョンソンは演奏や作曲、録音など精力的に活動し、1929年には世界大恐慌の影響で仕事が減る事もありましたが、彼自身は作曲家としての印税収入があり生活にはそれほど支障は無く、管弦楽の作曲などにも意欲的に取り組んでいきました。

 

 

1940年は脳卒中で倒れましたが、翌年復帰して再び演奏やレコーディングなど精力的に仕事を行いました。しかし、1951年、再びジョンソンの脳卒中が再発し、体に麻痺が見られ音楽家としての仕事を引退しました。

 

 

 引退後も印税収入があったので経済的に困るという事はそれほどなかったようですが病状は悪化し、1955年にジョンソンはニューヨークで亡くなりました。享年61歳。
ジャズの歴史に大きな貢献をした音楽家、ピアニストでした。

 

 

 

「Harlem Stru」歴史上初めて録音されたジャズピアノと言われています。

 

 

 

 

こちらもジェームスの代表曲といわれる「Charleston」。アメリカの力強い文化が栄えた「狂騒の20年代」を象徴するような曲ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連ページ

ジェリー・ロール・モートン
20世紀初頭、ニューヨークやシカゴに広がったラグタイムは更に進化していきました。
アルバート・アモンズ
ブギウギピアノのヒーローアルバート・アモンズ
ジミー・ヤンシー
ブギウギピアノの父ジミーヤンシー